誹謗中傷の被害に遭って警察に相談された方から、いちばん多く聞くのがこの言葉です。
相手が誰か分からないなら、まず開示請求をしてきてください。
そう言われて、そこで止まってしまう。開示請求には弁護士費用がかかると知って、もう無理だと思ってしまう。実際、当事務所にご相談くださる方の多くが、一度どこかで断られた経験をお持ちです。そして断られた記憶は、思った以上に長く残ります。「もう警察には行きたくない」と書いてこられる方が、本当に多いのです。
けれど、書類を作る側から見えている景色は、少し違います。
相手が分かっていることは、告訴の条件ではありません
刑事訴訟法上、告訴とは「犯罪の事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示」とされています。ここで求められているのは、犯罪と思われる事実があること、被害者に処罰してほしいという意思があること、そしてそれを裏づける資料があること。犯人が誰かを申告する側であらかじめ特定しておくことは、条文上の要件になっていません。
犯罪捜査規範という、警察内部の規則があります。その第63条第1項には、告訴があったときはこれを受理しなければならない、という趣旨のことが書かれています。実際に警察本部でお話を伺った際にも、受理の判断で見ているのは処罰意思・犯罪への該当性・疎明資料であって、被疑者が特定されているかどうかは含まれない、というご説明をいただいたことがあります。
ではなぜ「開示請求をしてきてください」と言われるのか。ここは私の推測も入りますが、そのほうが捜査が早く進むから、という運用上のご希望が大きいのだと思います。実務として理解できる話ではあります。ただ、それは法律上の受理要件とは別のものです。この二つが混ざったまま説明されると、被害者の側には「要件を満たしていないから門前払いされた」としか聞こえません。
もうひとつ、よく混ざるのが「同定可能性」と「被疑者の特定」です。前者は、その投稿が誰のことを指しているのか第三者に分かるか、という被害者側の問題。後者は、書き込んだのが誰かという加害者側の問題。まったく別の話なのに、同じ「特定」という言葉で語られるせいで、話が噛み合わなくなることがあります。書面を作るときは、この二つを意識して分けて書くようにしています。
口頭で相談するのと、書面を持っていくのとでは、受け止めが変わります
これは実務をやっていて、いちばん強く感じることです。
窓口で口頭で説明すると、どうしても「つらかった話」として伝わります。話す側も混乱していますし、時系列も前後します。一方で、いつ・どこに・どんな内容が投稿され、それがなぜ自分のことだと分かるのか、なぜ社会的評価が下がると言えるのかを、証拠と対応づけて紙にまとめて持っていくと、同じ内容でも受け止め方が変わります。担当の方が検討できる形になるからです。
告訴状・証拠説明書・陳述書を作るというのは、要するにこの変換をする仕事です。法律判断そのものは私たちの領分ではありませんが、判断してもらえる状態まで持っていくことはできます。
証拠は、待っているあいだに消えます
これはお伝えするのがつらい部分でもあるのですが、時間はこちらの味方をしてくれません。
投稿は消されます。アカウントも消えます。スクリーンショットを撮ったつもりでも、日付が写っていなくて後から使いにくいこともあります。サイトに残る接続記録の保存期間はサイトごとに違い、警察の方からも「サイト側に記録が残っていなければ、投稿者にたどり着くのは難しくなる」というご説明を受けたことがあります。
ですので当事務所では、ご相談の早い段階で、スクリーンショットに加えてウェブ魚拓(第三者のサービスに保存された記録)を取るようにしています。ご自分で撮った画像は「加工したのでは」と見られる余地が残りますが、第三者のサーバーに保存日時つきで残っていれば、その疑いは減ります。
ひとつ気をつけたいのが、期間の話が三つ混ざりやすいことです。公訴時効(名誉毀損罪・侮辱罪・業務妨害罪はいずれも3年。侮辱罪は令和4年の法改正で1年から延びています)、親告罪の告訴期間6か月、そして通信記録の保存期間。このうち告訴期間の6か月は「投稿された日」からではなく「犯人を知った日」から数えます。相手が匿名のままなら、そもそも進行しません。ネットで「6か月を過ぎたら終わり」と読んで諦めてしまう方がいるのですが、そこは分けて考えていただきたいところです。
出したあとも、待つ時間があります
告訴状を郵送してから警察のご連絡までに、数週間から一か月以上かかることは珍しくありません。書類がどこに届いているのか分からず、本部と所轄に何度も確認のお電話をすることもあります(提出先は、原則としてご本人の住所を管轄する署になります)。
当事務所では、提出から30日ほど経って音沙汰がなければ一度確認のご連絡を入れ、その後も間隔を決めて追いかけるようにしています。被害者ご本人が何度も警察に電話をかけ続けるのは、精神的にとても消耗する作業です。そこは代わりに引き受けたい部分だと思っています。
なお、投稿から時間が経っている案件では、警察の方から「この期間、何かご事情があったのですか」と尋ねられることがあります。ためらっていた時間そのものを責められているようで、聞くとつらい質問だと思います。でも裏を返せば、動き出すのが早いほど説明はしやすくなります。
最後に
私自身、夜の仕事を7年していました。だから、警察に行くこと自体のハードルがどれだけ高いか、身分を明かすことがどれだけ怖いか、なんとなく想像がつきます。「どうせ分かってもらえない」と思う気持ちも、分かるつもりです。
相手が誰か分からないから諦める、という結論だけは、どうか急がないでください。分からないままでも、出せる書類はあります。
ご相談はLINEのテキストで承っています。お話の内容を正確に記録に残したいので、お電話ではなくLINEでお願いしております。夜中でも構いません。文章がまとまっていなくても構いません。
出典・参考(いずれも行政機関の公表資料です)
- 犯罪捜査規範(昭和32年国家公安委員会規則第2号)e-Gov法令検索
- 侮辱罪の法定刑の引上げ Q&A法務省
- 刑法(明治40年法律第45号)e-Gov法令検索
本コラムは制度の一般的なご説明であり、特定の事案に対する法的助言ではありません。個別の事案についての法律判断・見通し、示談交渉、裁判手続の代理は行政書士の業務範囲外となりますので、必要な場合は提携の弁護士・税理士・司法書士をご紹介しています。
記載内容は執筆時点の情報にもとづいています。制度・運用は変わることがありますので、実際のお手続きの前に最新の情報をご確認ください。
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